また鬱日記です

鬱で独り善がりな自慰を見たくない人は不可立入此処先。
本文隠すタグとか忘れた。探したけど見つかんね。


月日は恐ろしい。何もしなくても背中をぐいぐいと押す。
その上さらに恐ろしいのは、その押されているという感覚を滅多に自覚できないことである。


今日も18時頃から酒を呷っている。
呷ると言っても飲んでるのはいつも通りカルーアミルクやらカクテルやらなので、『呷る』という表現は些か大袈裟な気もするが。
まぁ今現在まで飲んでいるので、一般的に『飲む』というよりは『呷る』という表現に近いのかもしれない。
そんなことはいい。
さっき、酔ってトイレに行った。眼鏡をかけて。
普段は眼鏡をかけてないが、カクテルやらを作るときは正確に作るためにかけている。
で、トイレには鏡が備え付けられており、いつもよりよく見える俺の視線はふと鏡の中の自分へ。


誰だコイツは。


汚い。気持ち悪い。


普段目がよく見えない上に自分が嫌い故に鏡はあまり見ないのだが、流石にこの自分との邂逅には鏡を凝視せざるを得なくなった。
あまりに情けない。
小学生の頃考えた21歳の自分とはこういう人間だったろうか。不精髭を伸ばしっぱなしの俺。
中学生の自分は、これを予想したろうか。許しただろうか。
3年前のどん底にいた自分は、2年前の苦境にいた自分は、一年前の必死だった自分は。
いやそれどころか、今年の春の自分は。


しかし、当然死にたくなるのと同時に、ある変化に気付く。


喉仏が、出っ張っている。
こんなに出ていただろうか。


昔、ヴァイオリンを習っていた。
そのヴァイオリン教室の男の先生の喉仏が大きく出っ張っていて、すごく興味深かった記憶を今でも思い出すことができる。
自分も男であるのに、大人でないために持っていない特徴。
それ以前に、あれはなにで出来ているのか。周りに大人はたくさんいるが、あんな目立つ喉仏はまるでいない。実に目につく。
幼少の自分にとって、見事な喉仏は大人の象徴であると同時に、不思議の宝庫でもあった。


それが今、自分の喉元にも与えられたのである。
実に複雑だった。嬉しい気持ち半分、大人として後に戻れないという戸惑いの気持ち半分。
そして何より、自分の喉元というかなり気付きやすいポイントの変化について気付かないほど鏡を避けていた自分への失望。
いったい毎日の歯磨きやら髭剃では何を見ていたのだろう。
そう考えてまた一つ鬱になった。


まぁ、ちょっと鏡見ないうちにいきなり喉仏が出っ張るわけないから、
きっと今までどうでもいいこととして脳内でフィルタリングされてたんだろうけどね。
やっぱ酔ってるときの視点ってどうしようもなくて、且つ面白いもんですね。


そんでもって書き始めたときにはオチを
「そんなことより気持ち悪いんですが誰か看護に…」
的な感じにしようと思ってたんですが、日記書いてるうちに気持ち悪さが薄れてきたんで、普通に寝ますね。
それでは。